地震で歴史が変わった?
豊臣秀吉&徳川家康 天下人と震災
【GOOD!いちおし】
テレビ朝日グッド!モーニング「Good!いちおし」のコーナーで紹介された内容をご紹介しています。
豊臣秀吉&徳川家康 天下人と震災
| 今も突然起こる地震、今回は地震の歴史に注目します。 秀吉と家康、 2人の天下人の運命を変えた3つの大地震を紐解きます。 <解説者 藤田医科大学特命教授 リベラルアーツセンター長の本郷和人さん> |
戦国時代の大地震が
天下人の運命を左右した
今回の「GOOD!イチオシ」では、戦国時代に起きた大地震が、豊臣秀吉と徳川家康の運命にどのような影響を与えたのかが紹介されました。
解説したのは、藤田医科大学特命教授 リベラルアーツセンター長の本郷和人さんです。
戦国時代は合戦のイメージが強い一方、大規模な地震も相次いでいました。
1586年の天正地震、1596年の慶長伏見地震、1605年の慶長地震は、天下人たちの政治や軍事に大きな影響を与えたと考えられています。
天正地震が家康を救った?
1586年に発生した天正地震は、マグニチュード8クラスと推定され、近畿地方から北陸地方にかけて甚大な被害をもたらしました。
当時、秀吉と家康は、1584年におきた小牧・長久手の戦いを終えたばかり。
秀吉軍約10万人に対し、家康軍は約1万7000人と大きな戦力差がありましたが、家康は生き残りました。
その後、秀吉は四国平定や関白就任を果たし、再び家康討伐を準備します。
大垣城には兵糧を蓄え、山内一豊を先陣にする計画まであったといいます。
ところが出陣直前に天正地震が発生。重要拠点だった長浜城などが大きな被害を受け、秀吉は家康攻めを断念しました。
もし地震がなければ、家康が武力で討たれていた可能性もあったというのです。
その後、秀吉は妹の旭姫を家康に嫁がせるなど、武力ではなく外交によって家康を服従させる方法へ切り替えました。
地震が城の造りまで変えた?
当時の人々は、地震を「政治が悪いと天が怒って起こすもの」と考えることもありました。
地震の経験は城造りにも影響した可能性があります。
初期の天守には、下部を大きく造り、その上に物見櫓のような建物を載せる「望楼型」がありました。
その後、下から上まで整った構造で積み上げる「層塔型」が登場します。
築城の名人として知られる藤堂高虎が、この形式の発展に関わったともいわれます。
高虎は大地震を何度も経験しており、より丈夫な天守を造ろうという意識があったのではないかと考えられています。
慶長伏見地震で朝鮮との講和が頓挫
天正地震から約10年後の1596年、今度はマグニチュード7規模と推定される慶長伏見地震が発生しました。
当時、秀吉は朝鮮出兵をめぐって講和交渉を進めようとしていました。
ところが地震によって、秀吉の拠点だった伏見城が倒壊します。
立派な伏見城を背景に、自らの権威を示しながら有利に交渉を進めようとしていた秀吉にとって、大きな打撃でした。
その後、講和はうまく進まず、再び朝鮮への出兵につながったとされています。
秀吉は伏見城をさらに豪華に再建しますが、大地震の直後に自らの権威回復を優先した姿勢は、民衆の不満を高めてしまうことに。
大仏にも怒りをぶつけた秀吉
慶長伏見地震では、京都・方広寺の大仏も被害を受けました。
秀吉は、神仏の加護によって自分の権威を示そうとしていたといいます。
しかし大仏が倒壊すると、「自分自身も守れない大仏が、人々を救えるはずがない」と怒り、大仏の眉間に矢を射たという逸話まで残されています。
度重なる災害によって、秀吉の苛立ちや焦りも強まっていたのかもしれません。
その後まもなく秀吉は死去し、1600年の関ヶ原の戦いを経て、家康が天下人となります。
家康も慶長地震を経験
1605年には、南海トラフ沿いの巨大地震と考えられている慶長地震が発生しました。
マグニチュードは7.9程度と推定され、千葉県の犬吠埼から九州にかけて太平洋沿岸を襲い各地に大きな被害を与えてしまいました。
家康はその後、将軍職を息子の秀忠へ譲り、駿府へ移ります。
一般には”これから将軍は徳川が継ぐ”と大御所政治を行うためと考えられていますが、本郷さんは、当時の「地震災害は自分の責任」という考え方を踏まえると、地震の責任を意識した可能性もあるのではないかと指摘しました。
もちろん、これは一つの見方です。
名古屋城にも地震対策の発想?
家康はその後、加藤清正らに清洲城から名古屋へ城下町ごと移転させ、名古屋城の築城を命じました。
移転先となった熱田台地の北西端は比較的地盤が安定した高台でした。
こうした場所が選ばれた背景には、過去の地震を教訓とした防災意識もあった可能性があります。
さらに、天正地震後に秀吉が前田玄以へ送った書状には、「なまつ大事にせよ」と読める表現が残されています。
伏見城を造る際、地震への備えを十分にするよう命じた内容と考えられており、地震とナマズを結びつけた古い記録の一つとして注目されています。
戦国時代の天下統一は、武将たちの能力や戦略だけで決まったわけではありません。
地震という自然災害もまた、秀吉と家康の選択や運命を大きく左右していたことが見えてきます。
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